2009年06月21日

病理診断科(びょうりしんだんか)は病理診断

病理診断科(びょうりしんだんか)は病理診断を行う標榜診療科(外部に広告のできる診療科)である。

病理診断科の診療科としての業務は細胞診断、病理組織診断、術中迅速病理診断などである。また病理医には手術検討会や剖検を含む各種症例検討会での役割も期待されている。

医療機能評価や地域がん診療連携拠点病院指定等では病理診断科の有無が評価対象となっており、病理診断科標榜は医療機関を格付ける一要素となっている。

2008年4月1日から政令(平成20年2月27日官報 号外第36号 11-12頁 政令第36号)で定められたもっとも新しい標榜診療科のひとつである。政令改正前は病理診断科を外部に広告することはできず、院内の支援系部門として病理科や病理検査科という名称も使われていた。

病理診断は医師・歯科医師が行うことができる医行為である。政令で定められた病理診断科は医業についての診療科名である。

医科診療報酬点数表でも第3部第2節病理学的検査は第13部に移り名称も病理診断に変更された。医療費の内容の分かる領収証では病理診断の欄が用意された。

病理診断科は診療科であるので患者さんが希望する場合は病理診断を担当した病理医に直接意見を聞くことも可能である。
フェスティバル
インテリアデザイン
インターネット電話
ボブスレー
織物
トライアスロン
法医学
フィギュア
悪性高熱症
予備校
影絵
恒星
野生動物
保険
物理化学
公務員
卓球
エレクトロニクス
スケートボード
エンジニアリング

問題点 [編集]
日本医師会の調査[1]では病理診断科医師数の不足が明らかとなっている。診療科別の最低必要な医師数(現状との比較)では、病理診断科は3.77であり、医師不足についてマスコミがしばしば取り上げる婦人科の2.91よりも病理医の不足は深刻である。

病理診断科を担う病理専門医が増えにくかった理由は病理診断が病理学的検査として衛生検査所に外注されてきたこと、病理科が患者を直接診療しないことを理由に標榜診療科として認められなかったこと、病理診断料診療所等での病理診断について診療報酬の評価が無い、などである。2007年時点で病理専門医は2000名に満たない。また後継病理医が少なく病理専門医の平均年齢は50歳を超えているという。
病理専門医の多くが医学部病理学教室で基礎研究に従事しながら病理診断を学んだため臨床医よりは研究者としての意識が強い傾向にある。職業は研究者で、病理診断は副業となる。
病理診断は、旧来は病理学的検査に位置づけられていた。そのため医療機関経営者等からみて、検体検査としてできる限り安価に外注することが医療機関経営上の要請であった。このため病理診断科を持たない医療機関が少なくない。しかし病理医が勤務する医療機関では病理医は病理診断のみならず術中迅速診断や症例検討会等なども担当している。迅速病理診断等の医療内容を広告できるようになったので病理診断科を標榜したい医療機関が増えたということでもある。
病理診断科医師不足は地域医療における病理診断科の位置づけ、病理診断診療報酬、後継病理医育成などから検討すべき緊急課題である。行政のあり方とともに病理学会等の関連団体に病理研究や病理診断の戦略も問われている。
おおよそ日本人6万人に1人の病理専門医がついていることになるが、首都圏に病理医が集まっているので(3万人に1名前後)、地方での病理医不足はさらに深刻である。地域医療設計・政策においては病理診断(生検病理診断、手術材料病理診断、迅速病理診断、病理解剖診断等)を担当する病理医について数的な育成計画も必要となる。病理診断を検査として外部委託せず、常勤・非常勤にかかわらず病理医を医療施設に招聘することが第1歩である。招聘することで臨床病理カンファランスや迅速病理診断等が可能になり医療機関の機能向上を図ることができる。このように病理医不足については需要と供給の双方について検討される必要がある。
日本の病理専門医は約2000人であるが、米国ではPathologyに従事する医師は2万人である[2]。人口で補正して日本の病理医は米国の23%(1/4未満)である。

2009年06月02日

室町時代初期には備前国で

室町時代初期には備前国で「小反り」と呼ばれる一派が活躍した。主な刀工は長船政光、秀光、師光等である。続く応永年間には、備前長船盛光、康光、家助、経家などの名工が輩出した。これらは応永年間に作られたものが多いので、世に「応永備前」と呼ばれている。応永備前の特徴は、鎌倉時代の太刀を狙った腰反りがつく優美な姿であるる 点にある。また、嘉吉の変で、室内戦闘用に鎬作りの短い刀が求められたため、所謂脇差の製作が行われた点も重要なポイントである。太刀から打刀、脇差の二本差しスタイルが生まれたのはちょうどこの時期である。応永備前の打刀(2尺3寸前後)、脇差(1尺5寸前後)は非常に姿が良く、江戸時代に大名が美しい拵えを作るために珍重された。この頃、たたら製鉄技術が一段進歩したと言われ、大規模な製鉄場跡が見られるようになる。

(室町中期以降、日本刀は刃を下向きにして腰に佩(は)く太刀から、刃を上向きにして腰に差す打刀(うちがたな)に代わってくる。なお、太刀・打刀とも、身に付けた時に外側になる面が刀身の表で、その面に刀工銘を切るのが普通である。したがって、銘を切る位置によって太刀と打刀の区別がつく場合が多いが、裏銘に切る刀工もいる。)
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平和な時代が始まったため刀剣の国内需要は低下したが、明への重要な貿易品としての生産も行われるようにもなった。そして応仁の乱によって再び戦乱の世が始まると、膨大な需要に応えるため、足軽など農民兵用に「お貸し刀」(貸与される刀)などの粗悪な「数打物」と呼ばれる粗製濫造品が大量に出回るようになった。戦国時代に入ると刀剣生産が各地で行われ、特に祐定を名乗る刀工だけでも60名強揃った備前国と、兼「某」を名乗る刀工が活躍した美濃国が生産拠点の双璧である。他には、豊後、三原、大和、加賀、越中、駿州が知られている。寛正年間から火縄銃が普及する天正頃まで、片手打ちの刀(2尺前後)が多い。また、合戦に明け暮れる武将は、己が命運を託する刀剣を特注することもあった。これら「注文打ち」には名刀が揃っている。重要文化財に指定されている「長船與三左衛門祐定」の永正年期作は、注文主の栗山某の美意識を反映してか、元から中ほどまで中直刃で、中から先まで互の目乱れを焼き、従来にはない感覚の異色の名刀である。同時代の著名な刀工としては、備前の則光、在光、賀光、祐光、勝光、宗光、清光、春光、治光、幸光等。美濃の兼定、兼元、兼常、兼房、兼先、兼道、兼則、兼若、氏貞等が挙げられる。他地方では、相州綱広、千子村正、高天神兼明、豊後平鎮教、平安城長吉、手掻包真、加州行光、宇多国宗、波平某等々。その他無名の刀工を含めると、第二次世界大戦時より刀工の数が多かったものと思われる。

しかし、南蛮貿易による鉄砲の伝来によって、合戦の形態から、刀剣の姿まで急速な転換を迎える事になる。まず鉄砲に対抗するため甲冑が強化された。また大規模な合戦が増えたため、長時間の戦闘に耐えるべく、従来の片手打ちから両手で柄を握る姿となり、身幅広く、重ね厚く、大切先の刀剣が現われ始めた。この姿が豊臣秀吉による天下統一後にも受け継がれ、豪壮な「慶長新刀」体配を生み出す土壌となった。

2009年04月30日

六部

建国神話に現れる辰韓の六村はのちの新羅六部であり、王都金城(慶州市)に居住してそれぞれ自立的な政治的集団として存在していたが、王都外部に対しては王京人として結束して優位性を保ち続けた。新羅が周辺諸国を取り込んで領域を拡げていく過程で、これら六部の優位性を維持するために、元来は六部の内部的な身分制度が拡大していき、骨品制が成立したものと考えられている。第3代の儒理尼師今9年(32年)に、元の六村に対して部名を改めるとともに姓を下賜したと伝えられているが、『三国史記』と『三国遺事』との間でも伝える内容が異なっており、姓の表記については高麗の前半期に整備されて付加されたとする見方もある

『三国史記』新羅本紀によれば、建国の当初のころは「大輔」という官名が最高位のものとして確認されるが、第3代儒理尼師今の9年(32年)に、下表の17階級の官位(京位)が制定されたとする。枠外の官位としては、第23代法興王の18年(531年)に宰相に相当するものとして「上大等(上臣)」が設けられた。また、三国統一に功績のあった金庾信を遇するものとして、第29代武烈王の7年(660年:この年百済を滅ぼす)には伊伐飡(角干)の更に上に「大角干(大舒発翰)」、さらに第30代文武王の8年(668年:この年高句麗を滅ぼす)には「太大角干(太大舒発翰)」という位が設けられた。

新羅王が新たに即位すると、直ちに最高官位の上大等(古くは大輔、舒弗邯)が任命され、その王代を通じて権力の頂点にたつという例が多い。これは貴族連合政治体制の現れであると見られている。強力な王権が確立した三国統一の後にも上大等が任命されるという慣習は続いているが、真徳女王の代になって651年には国家機密を掌握する執事部が設けられ、その長官の中侍が上大等に代わって政治体制の要となった。

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京位は首都金城に居住する六部のための身分体系でもあり、これに対して地方に移り住んだものに対しては外位という別途の身分体系を併せ持っていた。しかし百済・高句麗を滅ぼした後、両国の遺民を取り込み唐に対抗していくため、京位・外位の二本立ての身分制度を再編することに努めた。673年には百済から帰属してきた者のうち、百済の2等官の達率の場合には、金城に移住した者に対しては京位10等の大奈麻に当て、地方に留まった者には外位4等の貴干を当てた。翌674年には外位を廃止して、京位に一本化した。さらに唐との戦闘を終えて684年に報徳国を滅ぼして半島内の混乱を収拾した後、686年には高句麗人に対しても官位(京位)を授けた。このときには高句麗の3等官の主簿[7]に対して京位7等の一吉飡を当てた。このようにして、百済・高句麗両国の官位体系の序列を格下げした形で新羅の身分体系に組み入れることによって、それまで三国独自に展開されていた身分体系が新羅の政治秩序のもとに一本化され、統一国家としての内実を整えることに成功したと考えられている。

2009年04月15日

同君連合

同君連合(どうくんれんごう)とは、複数の君主国の君主が同一人物である状態・体制のことである。同君連合の形態は大きく2つに分けることができる。同君連合の各構成国がそれぞれ独立した主権をもち続ける人的同君連合(身上連合、英語:personal union)と、各構成国を超えた中央政府が置かれて各構成国が中央政府にコントロールされる物的同君連合(物上連合、英語:real union)との2つである。

人的同君連合は、複数の独立した君主国の君主が「たまたま」同一人物になっただけにすぎない。それゆえに、人的同君連合の構成国の政府は各々独立したものとして存立し続ける。

ヨーロッパでは、各国の王侯の通婚がしばしば行われたため、ある国の君主位継承者に別の国の君主やその一族がなっている場合がままあった。具体的には、1714年から1837年の間、イギリス(グレートブリテン王国)とハノーファー(選帝侯国、後に王国)の君主位が兼ねられていた事例がある。1714年にイギリス女王のアンが子供を持たないまま死去すると、アンの遠縁にあたりイギリス王家の血を引くハノーファー選帝侯ゲオルク(ジョージ1世)が、選帝侯の身分を兼ねたままイギリス国王に即位したのである。しかしながら、この王位継承によってイギリスとハノーファーが両国に共通する政府を設けるということはなかった。

物的同君連合
物的同君連合では、各構成国をまとめる中央政府が設立される。この中央政府の権限は事例によりまちまちであるが、外交の権限が付与される場合が多い。このように外交の権限が中央政府に与えられた場合、この同君連合は国際法上の主体となり、条約などを締結できるようになる。逆に言えば、このような場合においては、同君連合の各構成国は国際法上の主体性が著しく制限される。また、内政分野においても各構成国の権力行使が制限され、中央政府に委ねられることが多い。

具体的には、1867年から1918年にかけて、(いわゆる)オーストリア帝国とハンガリー王国が同君連合になっていた例(オーストリア=ハンガリー二重帝国)が挙げられる。オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねていたのであるが、オーストリア政府とハンガリー政府の上に共通政府が置かれて、同君連合全体の外交・軍事などを管轄した。

同君連合となる原因
王朝の断絶により他国から君主を迎える場合
婚姻による場合
他国を併合する場合
同盟による場合
他国によって征服された場合
以上とは逆のケースとして

統治下の非独立国、属領に広範な自治権を認めた場合

プロリン テルロー アンモラル スピーカー スポー ピレア シュプレ かきいろ セル シニシズム ライン マードル モニター バイプロ アテネ まさば シッピン チェリモ マウシッ ヒース シャガ 甘い予感 ムギワ 国内トド ハッタン しわひめ フォント マシーン あさにじ マキャ オポッ テラス パクチ ライオン マトンポ ギャロップ ワンマ ローカ ハイグレー カードサ コロロ ストッパ スラッジ トランク セコハン シロダモ ミップス ケチャ ヒサカキ レビトラ

2009年03月31日

浪乃花教天

浪乃花 教天(なみのはな かずたか、1969年3月19日 - )は、青森県南津軽郡浪岡町(現:青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。本名は工藤和博(くどう かずひろ)。身長179cm、体重133kg。最高位は小結(1995年3月場所)。得意手は突き、押し。

農家の三男で、浪岡町立野沢小学校時代は相撲大会で常に優勝し、3年生の時には4年生の部で優勝をするなど活躍をした。浪岡中学校時代は相撲から離れて陸上部で活躍をし、将来は体育教員を志していた。しかし、中学校3年の時に家へ訪ねて来た二子山親方(元横綱・初代若乃花)から勧誘され、大相撲入りに傾き1984年5月場所で初土俵を踏んだ。

体格は大きくなかったが持ち前の負けん気と稽古が実り、1990年11月場所で新十両、その後一時幕下に落ちていたものの復活して1992年9月場所で新入幕を果たした。4度目の入幕となった1994年11月場所には、10勝5敗と二ケタ勝利をあげ敢闘賞を受賞した。なお、1994年11月場所では、浪乃花が千秋楽でもし負けていたら、史上初の三賞受賞者ゼロになるところだった。

1995年3月場所には新三役の座を射とめた。ただし三役はこの場所の小結1場所で限りで、しかも三役以上との対戦経験がないまま小結に昇進した珍しいケースでもあった。突き押しを得意手として取り口は闘志に溢れて気風がよく、特に相手をぐっと睨みつける厳しい仕切りには人気があった。この所作は千代の富士を髣髴とさせ、相撲雑誌で「ミニウルフ」とニックネームを命名されたこともある。

しかし1996年3月場所の魁皇戦で左ひじを痛め、これが致命傷となって同年5月場所から6場所連続の負け越しで1997年3月場所には幕下にまで陥落、この場所限りに28歳の若さで引退した。引退後は料理店を経営し、現在は港区西麻布(最寄駅は乃木坂)でちゃんこ鍋「天海地 [1]」を経営している。また、J Sports ESPN「劇戦!大相撲」の解説者も務めている。

略歴 [編集]
1984年(昭和59年)5月場所 - 初土俵。
1992年(平成4年)9月場所 - 新入幕。
1997年(平成9年)3月場所 - 引退。
まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

主な成績 [編集]
通算成績:
幕内成績:117勝153敗
幕内在位:18場所
三役在位:1場所(小結1場所)
敢闘賞:1回(1994年11月場所)

各段優勝 [編集]
十両優勝:2回 (1994年1月場所、1994年9月場所)

改名歴 [編集]
工藤 和博(くどう かずひろ)
浪ノ花 和博(なみのはな -)
浪乃花 教天(- かずたか)
浪之花 教隆(- かずたか)

2009年03月17日

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三箇所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである(2002年秋、2008年秋に特別開扉が行われた)。

木造不空羂索観音坐像(国宝)-運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189年)に完成。坐像で高さ336センチの巨像である。
木造四天王立像(国宝)-鎌倉時代の作。この四天王像は南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていたが、20世紀後半の研究の進展により、現在中金堂(仮金堂)に安置されている四天王像が、もと南円堂にあった康慶作の像であり、現・南円堂の四天王像は他の堂から移されたものであることが明らかになっている。

三重塔 [編集]
康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。現在の塔は治承4年(1180年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築である。


西金堂跡 [編集]
天平6年(734年)、光明皇后が母・橘三千代の一周忌に際し、釈迦三尊を安置する堂として創建した。江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後は現在まで再建されていない。


大湯屋 [編集]
五重塔の東方に建つ。五重塔と同じく応永33年(1426年)頃の再建。


菩提院大御堂 [編集]
五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ、興福寺の子院である。現在の堂は天正8年(1580年)の再建で、本尊阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。


本坊 [編集]
境内東方に位置する。一般には公開されていない。

木造聖観音立像(重文) - 本坊持仏堂(大圓堂)本尊。鎌倉時代の作。一般には公開されていないが、1997年東京国立博物館で開催された「興福寺国宝展」で初めて公開されたほか、2007年10月20日 - 11月25日に寺内で初めて公開。寺伝では聖観音像とされているが、像内納入文書によれば、本来は弥勒菩薩像として、建長5年(1253年)に仏師快円によって作られたものである[1]。

国宝館 [編集]
国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。食堂は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されている。内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されている。
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乾漆八部衆立像(国宝)-奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。緊那羅像は奈良国立博物館に寄託。
乾漆十大弟子立像(国宝)-奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は失われ、舎利弗(しゃりほつ)、目犍連(もくけんれん)、須菩提(すぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旋延(かせんえん)、羅睺羅(らごら)の6体のみが現存する。舎利弗、目犍連は奈良国立博物館に寄託。
銅造仏頭(国宝)-奈良時代の作で、頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品。旧山田寺仏頭とも。元来、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊薬師三尊像の中尊像の頭部で(前記)、東金堂にあったが、室町時代の火災で頭部だけがかろうじて焼け残った。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められて長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、珍しい銀製の仏像の腕(重文)も発見されている。
木造仏頭(重文)-廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(けぶつ、小型の仏像)も残っている。従来、運慶の兄弟子・成朝の作とされていたが、近年、興福寺別当(住職)信円の日記の記述から、文治2年(1186年)正月に運慶によって作られたとする説が有力となっている。
木造金剛力士立像(国宝)-もと西金堂安置。鎌倉時代。
木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)-もと西金堂安置。大きな燈篭を、天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した、鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁の建保3年(1215年)の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と思われる。
木造法相六祖坐像(国宝)-運慶の父・康慶一門の作。玄賓(げんぴん)、行賀、玄昉(げんぼう)、神叡、常騰、善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。南円堂の本尊の周囲に安置されていた。行賀像は奈良国立博物館に寄託。
木造千手観音立像(国宝)-もと食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される[2]。高さ5.2メートルの巨像で、像内納入品の銘記から鎌倉時代、寛喜元年(1229年)頃の完成と推定される。この千手観音像は記録によると造像開始から完成まで4半世紀の歳月を要した。当初の造像担当者であった成朝は運慶の父康慶の兄弟子にあたり、康慶よりも正当な慶派の後継者であった。しかし成朝は病弱であったため千手観音像の制作途中で亡くなったと推定されている。その後放置されていたものが何らかの理由で制作が再開され、別の仏師の手により完成された。像の部材は制作が中止されている間風雨に晒されていたらしく、内部の木肌は酷く痛んだ状態であった。
板彫十二神将像(国宝)-平安時代の作。日本では珍しい、板に浮き彫りにした仏像で、現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。
金銅燈籠(国宝)-南円堂前に立っていた銅製の燈籠で、現在は国宝館に展示されている。平安時代初期の弘仁7年(816年)の銘があり、紀年銘のある燈籠としては日本最古のものである。火袋の文字は当代の書道史の遺品としても貴重。
梵鐘(国宝)-奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては、妙心寺鐘(698年)に次いで、日本で二番目に古い。

2009年03月01日

[編集] 誌面大判化後に掲載を開始-休刊までの作品

おジャ魔神 山田くん!!(ダイナミック太郎)
ろぼおっ!(小田太郎)
天使のフライパン(小川悦司)
突撃チキン!(坂本憲司郎)
機動戦士ガンダムALIVE(シナリオ構成:皆川ゆか 作画:高山瑞穂)※休刊後、テレビマガジン増刊『テレまんがヒーローズ』に移籍。
ホタルナ妖(松本零士)
友まっしぐら(原作:七三太朗、漫画:飛永宏之)※2007年2月号より連載開始。
ゲゲゲの鬼太郎 妖怪千物語(原作:水木しげる、作画:ほしの竜一)※2007年4月号より第2部連載開始。休刊後、テレビマガジン増刊「テレまんがヒーローズ」に移籍。
小鐵伝!!(岩本ゆきお)※2007年5月号より連載開始
SDガンダム三国伝(ときた洸一) ※2007年7月号より連載開始。

最近まで掲載されていた代表的な漫画作品
UMA大戦 ククルとナギ(藤異秀明)
へろへろくんシリーズ(かみやたかひろ)
プルーの犬日記(真島ヒロ)
武者番長風雲録(一式まさと)
海の大陸NOA+(じゅきあきら・T・) ※『MiChao!』に移籍

誌面大判化後に掲載を開始し、終了した作品
Doする!? パラダイス(玉越博幸)※2006年11月号にて連載終了。
ゴンちゃん(田中政志)※2007年1月号にて連載終了。
ボッチボン(わたせせいぞう)※2006年12月号にて連載終了。
ボクのシアワセ(前川つかさ)※2007年1月号にて連載終了。
ゴキちゃん(須賀原洋行)※2007年8月号で連載終了
ガブリン(小林まこと)※2007年8月号で連載終了
恐竜世紀ダイナクロア(宇野比呂士)※2007年8月号で連載終了
ジェントルさん(山路シャイ)
しあわせの星 ハガル(山下てつお)
化け猫あんずちゃん(いましろたかし)
ネギま!?neo(原作:赤松健、作画:藤真拓哉)※休刊後、『マガジンSPECIAL』に移籍。

過去の掲載作品
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

1980年代
1981年11月号(以下創刊号) - 1982年10月号:『スパットマンX』(途中から『パットマスターX』に改題):ジョージ秋山
創刊号 - 1985年09月号:『レッツゴー!しゅんちゃん』:坂本しゅうじ
創刊号 - 1983年06月号:『ひみつ司令0059』:成井紀郎
創刊号 - 1983年06月号:『リトルフィッシャーマン』:蛭田充(原案・二階堂旭)
創刊号 - 1984年07月号:『スープーマン』:原作・永井豪、作画・はまだよしみ
創刊号 - 1983年04月号:『太陽の牙ダグラム』:森藤よしひろ
創刊号 - 1983年07月号:『ムサシと小次郎』:服部かずみ
創刊号 - 1982年03月号:『シャッターNo.1』:池原しげと
創刊号 - 1982年08月号:『はてさてナンダー』:とや邦行
創刊号 - 1982年07月号:『マキとキャル』:望月祐一
創刊号 - 1982年06月号:『星のピートン』:三浦みつる
創刊号 - 1984年06月号:『ほえろ!闘志』:井上コオ
創刊号 - 1982年01月号:『どんドコどん』:山根あかおに
創刊号 - 1982年01月号:『ホップステップチャンプ』:細井雄二
創刊号 - 1982年04月号:『バクちゃん』:こんどう洋介
創刊号 - 1982年08月号:『コスモそるじゃあ』:山口博史
創刊号 - 1982年04月号:『コンビニ園長』:槙村ただし
1982年01月号 - 1982年03月号:『ハクリキ先生』:青木めだか
1982年02月号 - 1986年11月号:『プラモ狂四郎』:原作・クラフト団、作画・やまと虹一
1982年03月号 - 1982年06月号:『スーパーにゃん』:永井豪&ダイナミックプロ
1982年04月号 - 1982年09月号:『少年00X 隼のケン』:原作・鳥海尽三、作画・青木めだか
1982年04月号 - 1982年10月号:『ぽこめん先生』:えびはら武司
1982年06月号 - 1982年09月号:『伝説巨神イデオン』:池原しげと
1982年07月号 - 1982年09月号:『学園仕置き 風』:原作・武石正道、作画・中島昌利
1982年07月号 - 1983年04月号:『がきメカファイ太』:槇村ただし
1982年08月号 - 1984年05月号:『ベムベムハンター』(途中から『ベムベムハンターこてんぐテン丸』に改題):かぶと虫太郎
1982年09月号 - 1983年09月号:『かみなり殿下』:柴山みのる
1982年09月号 - 1984年12月号:『とことんボーイ』:沼よしのぶ
1982年09月号 - 1986年02月号:『おれのサーキット』:山口博史
1982年11月号 - 1984年08月号:『モデルガン戦隊』:原作・安井尚志&高橋昌也、作画・宮田淳一
1982年12月号 - 1983年04月号:『クラッシャージョウ』:このま和歩(計奈恵)
1983年02月号 - 1984年02月号:『聖戦士ダンバイン』:池原しげと
1983年05月号 - 1983年08月号:『ビバ!ギューちゃん先生』:キドタモツ
1983年05月号 - 1983年12月号:『ゲームパイロット虎』:槇村ただし
1983年05月号 - 1984年04月号:『装甲騎兵ボトムズ』:のなかみのる
1983年05月号 - 1984年06月号:『宇宙怪人ワルダ9』:福永ヒロ
1983年07月号 - 1983年11月号:『むしむしリーゼント』:緑野銀星
1983年08月号 - 1984年03月号:『MAXファイター』:国友やすゆき(原作:武石正道)
1983年10月号 - 1984年10月号:『銀河漂流バイファム』:すがい優
1984年01月号 - 1984年09月号:『ジュン』:原作・風薫、作画・本山一城
1984年01月号 - 1985年07月号:『なにがなんでもわたるくん』:川三番地
1984年03月号 - 1985年03月号:『重戦機エルガイム』:池原しげと
1984年04月号 - 1984年10月号:『巨神ゴーグ』:清水緑(現:清水としみつ)
1984年04月号 - 1985年01月号:『特撮大作戦 ザ・トクサツマン』:国友やすゆき(原作:クラフト団)
1984年05月号 - 1986年02月号:『ロボロボカンパニー』:佐藤元
1984年05月号 - 1989年10月号:『やっぱ!アホーガンよ』:柴山みのる
1984年06月号 - 1987年03月号:『ラジコンキッド』:原作・神保史郎、作画・のなかみのる
1984年07月号 - 1984年11月号:『超天使(エンジェルマン)ムサシ』:河合一慶
1984年08月号 - 1986年10月号:『はじけて!ザック』:井上大助
1984年10月号 - 1986年01月号:『エースキッカー豪』:細井雄二
1984年11月号 - 1985年02月号:『MS戦記 機動戦士ガンダム0079外伝』:富野由悠季(原作)、近藤和久
1984年11月号 - 1985年04月号:『機甲界ガリアン』:すがい優
1984年11月号 - 1985年04月号:『超力ロボ ガラット』:笑夢ジェイ
1984年12月号 - 1985年05月号:『ほとんど!セーラ』:原作・石川賢、作画・考幸
1985年01月号 - 1985年09月号:『めだて!アニマルズ』:沼よしのぶ
1985年03月号 - 1985年07月号:『トラブル童児』:堂上まさ志
1985年03月号 - 1986年02月号:『機動戦士Ζガンダム』:富野由悠季(原作)、近藤和久
1985年04月号 - 1985年06月号:『くるくるパニックすみれちゃん』:坂本しゅうじ
1985年04月号 - 1986年01月号:『コンポラキッド』:もとはしまさひで
1985年05月号 - 1985年08月号:『かっとび!アニメ丸』:原作・高橋良輔、作画・金山明博
1985年06月号 - 1987年11月号:『ファミコン風雲児』:池原しげと
1985年07月号 - 1985年12月号:『こちらロボ番地!』:ときた洸一
1985年07月号 - 1986年01月号:『コスモキッカー出ました!特急ビン』:夏見寛
1985年08月号 - 1985年10月号:『翔んで!ラリー』:増田ジュン(笑夢ジェイ)
1985年08月号 - 1987年10月号:『ファミコン必笑ど〜じょ〜』:佐藤元
1985年09月号 - 1988年03月号:『ファミ拳リュウ』:ほしの竜一
1985年10月号 - 1987年09月号:『最新版 ゲゲゲの鬼太郎』:原作・水木しげる、作画・水木プロ作品
1986年03月号 - 1986年05月号:『笑撃放送!スタジオ8686』:佐藤元
1986年03月号 - 1986年08月号:『熱風の拳』(連載版):上田久治
1986年03月号 - 1986年10月号:『おまたせトラジャ一家』:いしわた周一
1986年03月号 - 1987年02月号:『機動戦士ガンダムΖΖ』:村上としや
1986年09月号 - 1987年02月号:『GIジョー』:上田久治
1986年09月号 - 1988年12月号:『ニンジャじゃ阿仁丸』:神矢みのる
1986年09月号 - 1988年12月号:『やったれっ!フー太ブー太』:さいわい徹
1986年10月号 - 1987年03月号:『ドテラマン』:シュガー佐藤
1986年11月号 - 1988年12月号:『少年探偵ジュンの事件簿』:細井雄二
1986年12月号 - 1987年04月号:『6年おじさん組だぞ』(連載版):ぼおりゅうりき
1987年01月号 - 1988年02月号:『新プラモ狂四郎』やすい尚志、やまと虹一
1987年03月号 - 1987年09月号:『機甲戦記ドラグナー』:神田正宏
1987年03月号 - 1987年09月号:『怪物キヨマー』:峰岸とおる(原案・セニョール山手)
1987年03月号 - 1990年11月号:『爆笑戦士! SDガンダム』:佐藤元
1987年04月号 - 1987年05月号:『ミス!ポリス』:シュガー佐藤
1987年04月号 - 1987年12月号:『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』:原作・石ノ森章太郎、作画・いしわた周一
1987年04月号 - 1987年12月号:『ラジコンチャンプ』:みやぞえ郁雄(原案協力・山口博史)
1987年05月号 - 1988年04月号:『ダイブツくん』:ぼおりゅうりき
1987年06月号 - 1989年04月号:『秘伝忍法帳』:シュガー佐藤
1987年07月号 - 1989年08月号:『迷惑保安官物語 にくったらシェリフ』:御童カズヒコ
1987年07月号 - 1988年06月号:『ガバチョン笑劇場』:二宮博彦
1987年09月号 - 1989年08月号:『燃えろ!!プロ野球』(途中から『ばんじゃい!プロ野球』に改題):はまだよしみ
1987年10月号 - 1988年02月号:『ビデオチャレンジャー弾』:湯川淳月(池田淳一)
1987年10月号 - 1989年08月号:『天才バカボン』:赤塚不二夫
1987年10月号 - 1988年08月号:『のらくろクン』:原作・田河水泡、作画・かぶと虫太郎
1987年10月号 - 1989年10月号:『レスラー軍団大抗争!』(途中から『聖戦士ロビンJr』に改題):おうたごさく
1987年11月号 - 1988年04月号:『ホラーボール』:のなかみのる
1987年11月号 - 1989年08月号:『おそ松くん』:赤塚不二夫
1988年04月号 - 1988年05月号:『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』:村上としや
『笑笑キョンシー』:かみやたかひろ
1988年05月号 - 1989年03月号:『鎧伝サムライトルーパー』:ほしの竜一
『スーパーマリオブラザーズ3』:本山一城
『魔戦童子 YOROI!』:ほしの竜一
1988年12月号 - 1990年04月号:『悪魔くん』:水木しげる
1989年01月号 - 1993年11月号:『超戦士ガンダム野郎』:大河原邦男、クラフト団、やまと虹一
1989年04月号 - 1989年08月号:『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』:矢立肇、富野由悠季、池原しげと
ドール ワーカー イエロー コヒル ナツメグ トリックス パントリ スプーン パハク ツイン イートイ しゃみ プリズム リンゴ ストロベ チュー オムライス 冒険家 サイメッ チュートリ チョン フェニ キャン ファンブル フィス サザン ビエラ デパー 木綿のハン コイズ ラウンド ジンコール パフス マザー オシレー にっけ ベンチ こかげ チョッキ 日本全国 ユニタ タグカード オプテ ユトレ アドイン フリゲート 極楽トンボ トルリン ワスレナ フェミ

『レーサーミニ四駆 世界グランプリ』:大崎悌造、池田淳一
1989年06月号 - 1989年08月号:『あっとおどろくジョーダンマン』:やまむろまさき
『宙球戦士アブソルト』:もとはしまさひで
1989年08月号 - 1983年02月号:『SDガンダム外伝 騎士ガンダム物語 ラクロアの勇者』:ほしの竜一
1989年10月号 - 1991年12月号:『ロックンゲームボーイ』:池原しげと
1989年11月号 - 1992年02月号:『元祖温泉ガッパドンバ』:御童カズヒコ
『キャッ党忍伝てやんでえ』:はまだよしみ
『ファミコン風雲児 対 ファミ拳リュウ』:池原しげと、ほしの竜一

2009年02月11日

恋愛CHU!

『恋愛CHU! -彼女のヒミツはオトコのコ?-』(れんあいちゅう かのじょ-)は2001年3月23日にSAGA PLANETSより発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

同年8月31日には全年齢対象のファンディスク『もっとLOVEちゅ!』も発売されている。また、2003年11月27日にGN SoftwareよりCEROレーティング18才以上対象のドリームキャスト版『恋愛CHU! ハッピーパーフェクト』も発売された。また、2005年3月25日に発売された『ウソツキは天使のはじまり』の限定版に本編と『もっとLOVEちゅ!』のXP対応版が同梱されている。

作詞:KOTOKO、作曲:中沢伴行、歌:KOTOKO TO AKIの同名主題歌のインパクトが強い。『もっとLOVEちゅ!』に2種類のパラパラ風リミックスが収録されており、さらに原曲も含めた3バージョンについて、それぞれ曲の途中で入る台詞の声が異なる2種類のバージョンが存在する。これに2003年11月27日に発売されたCD『SHORT CIRCUIT』に収録されたリミックスバージョン(ボーカル:KOTOKO TO 詩月カオリ)を含めて7種類のバージョンが存在する。

全寮制、男女交際厳禁という厳しい校則のある学園に通っている主人公。そんな彼にはNANAというメールフレンドがいる。彼としては会いたいのは山々だが、校則のせいで会うこともままならず……
そんなある日、寮の同室に転入生がやって来るという話が持ち上がったが、彼に会って超ビックリ!!なんとその転入生は男装したNANAこと神崎七海だったのだ!!
正体バレたら即退学の同居生活、はたしてどうなる事やら……。

登場人物
神崎七海(かんざき ななみ)
主人公のメールフレンド"NANA"。主人公に会うために双子の弟"七瀬"を名乗って転校してくる。
佐伯美月 (さえき みづき)
面倒見のいい幼なじみ。主人公を新聞部へ勧誘しようとしている。
須藤澪(すどう れい)
冷静沈着、容姿端麗な優等生。寂しがりや。
月島花梨(つきしま かりん)
子供っぽいところもある、明るい少女。
月島野花(つきしま ののか)
花梨の姉。優しい性格のため妹にも慕われている。
樋口若菜(ひぐち わかな)
ライム・リーガン
仁科弥生(にしな やよい)
川崎太陽(かわさき たいよう)
伊集院光(いじゅういん ひかる)
寮のおばちゃん

2001年8月31日に本作のファンディスク『もっとLOVEちゅ!』が発売された。なお、原作ゲームは18禁であるが本ファンディスクは非18禁である。

本作に収録されているのは以下の通り。

ビジュアルショートノベル
本編の七海・美月・澪・花梨エンド後の後日談が収録されている。なお、七海編は彼女から手紙が届いたところから始まっているが、本作にはその手紙も同梱されている。なお、ドリームキャスト版にもクリアしたヒロインの後日談が出現するという形で収録されている(七海編用の手紙同梱という点も同じ)。
ちゅーちゅータタキ
寮のおばちゃんが船長となり、船で財宝を探しに行く途中で船を荒らすネズミを退治するという内容のモグラ叩きゲーム。本作のネズミは各ヒロインの姿をしており(作中では「ねずちゅー」と呼ばれている)、また偽物としてヒロインそのものが出現することもある。
スイちゅーCDプレイヤー
普通のCDプレイヤーだが、外装をねずちゅーもしくは赤ちゃん風のヒロインから選べる。
パジャマ時計
各ヒロインのパジャマ姿の時計。
スクリーンセーバー
ゲストCGを背景に、赤ちゃん風キャラクターを描いたコースターが飛び交うものと部分拡大エフェクトが入るものが収録されている。
ハッピー☆カムカム 恋愛CHU!アートコレクション
有森つかさのイラスト集。
ハッピー☆カムカム マキシシングル
主題歌のパラパラ風アレンジ2バージョンと、本編ED曲に歌詞をつけた『いっしょにね 〜幸せのある場所〜』を収録。

2009年01月24日

出力ビーム兵器の多用によるエネルギー消費


とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル
各部ミサイルランチャー
高出力ビーム兵器の多用によるエネルギー消費を抑えるため、多数の実弾兵器も搭載されている。不要と判断されれば、ユニットごと排除することが可能。
腹部ハイメガ・キャノン
頭部に装備されるものと同等の威力(出力50MW)を持つが、簡易的なメカニズムの為、一度の発射で砲身が使用不可能となる。必要な電力はバックパックの増設ジェネレーターより供給され、使用後も機体のパワーダウンを引き起こすことはない。実戦では、アクシズ突入時の露払いに使用されている。
ハイパー・メガ・ランチャー
オプション兵装として、ハイパー・メガ・ランチャー(出力79.8MW)を装備する案も検討されていたが、実戦において運用されることはなかった。FAZZの運用したハイパー・メガ・カノンと同一の兵装であるが、Gフォートレスに変形してもそのまま装備ができる変形対応型のハイパー・メガ・ランチャーである。(形状はスーパーGフォートレスのハイパーメガ・ランチャーと同様である。)

メカニックデザインは明貴美加。

バンダイより発売されたプラモデル「1/100 マスターグレード フルアーマーΖΖガンダム」にはハイパー・メガ・ランチャー(ハイパー・メガ・カノン)が付属する。

設定の変遷
当時、大日本絵画の雑誌「モデルグラフィックス」における小説及び模型の連動作品『ガンダム・センチネル』はまだ企画段階であり、詳しい設定は固まっていなかった。また、モデルグラフィックス編集部とバンダイとの間の関係もそれほど良好ではなかったため、プラモデル「ガンダム・センチネル」シリーズは発売されるかどうかは不透明な状態であった。そのため、まずは第1弾として前倒しでフルアーマーΖΖガンダムが発売されることとなったが、バンダイの要望でFAZZではなくテレビアニメ版のフルアーマーΖΖガンダムとして発売されることとなり、紆余曲折の上、強化型ではない「1/144 ΖΖガンダム」に、FAZZと同じホワイトで塗装された増加装甲とハイパー・メガ・カノンが装備された、中途半端な存在として発売されてしまった。このカラーリングの元となったのは当時の1/100作例である。

その後FAZZ(ファッツ)の設定が固まり、デザインが変更された上に型式番号がFA-010Aとなった。さらにテレビアニメ版のフルアーマーΖΖガンダムの型式番号はFA-010Sとなり、区別されるようになった。そのため、プラモデル版のフルアーマーΖΖガンダムはFAZZでもフルアーマーΖΖガンダムでもない謎のMSとなってしまい、現在でも特に設定は起こされていない。

また、2000年にバンダイより発売されたプラモデル「1/100 マスターグレード フルアーマーΖΖガンダム」及び「FAZZ」に付属のインストには、フルアーマーΖΖガンダムとFAZZはEx-Sガンダムと同様のIフィールド・ジェネレーターの搭載となっている。ガンダムエースの付属ポスターにおいても左肩にIFシステムが搭載されたイラストが描かれたことがあるが、このイラストは本編登場のΖΖガンダムとは外見が相違している上に、特に説明文もなく、あくまでイメージイラストである。

強化型ΖΖガンダム
強化型ΖΖガンダム(きょうかがたダブルゼータガンダム、AMPRIFIED ΖΖ-GUNDAM: AMPRIFIED DOUBLE ZETA GUNDAM )は、テレビアニメ『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場(設定上)する、エゥーゴの試作型分離合体可変型MSである。(型式番号:MSZ-010SあるいはMSZ-010B)

機体解説
機体諸元 強化型ΖΖガンダム
型式番号 MSZ-010S (MSZ-010B)
所属 エゥーゴ
建造 アナハイム・エレクトロニクス社
生産形態 試作機
全高 23.14m
頭頂高 19.86m
本体重量 32.7t
全備重量 71.6t
ジェネレーター出力 7,860kW
スラスター総推力 31,200kg×4
(総推力)124,800kg
推力重量比 1.74
姿勢制御バーニア数 36基
センサー有効半径 16,200m
装甲材質 ガンダリウム合金
武装 ダブルバルカン
ハイメガキャノン
ハイパービームサーベル×2(ダブルキャノンを兼ねる)
18連装2段階ミサイルランチャー×2
シールド×2
2連装メガビームライフル
主な搭乗者 ジュドー・アーシタ
ΖΖガンダムをフルアーマーΖΖガンダムに換装するため、バランス調整を行ったマイナーチェンジ・バージョン。一部装甲の追加やバックパックの大型化、ジェネレーターの高出力化などの改修が施されている。

追加装甲による乾重量の増加を考慮し、ショルダースラスターバインダーをより高性能なものに換装した他、各部のスラスターも強化されており、脚部後面ノズルには推力強化パックが追加されている。バックパックのメイン・エンジンは新型の熱核ジェット / ロケット4発に換装、機動力は大きく向上し、Gフォートレス形態時では総推力192,000㎏に達する。また、武装である21連装ミサイルランチャーは18連装2段階ミサイルランチャーに変更され、ハイパー・ビームサーベルの形状にも若干の変更が見られる。

メカニックデザインは明貴美加。当初はMSZ-010Bという型式番号であったが、フルアーマーΖΖガンダムの型式番号がFA-010BからFA-010Sに変更されたことに伴い、MSZ-010Sに変更されている。詳しくはフルアーマーΖΖガンダムの項を参照。

アニメ第47話に登場するΖΖガンダムは、この強化型ΖΖガンダムであるとする説と、ノーマルのΖΖガンダムであるとする説の2通りの説が存在する。因みに、プラモデルの「1/144 ハイグレード ZZガンダム」の説明書内イラストでは、ハマーンのキュベレイとビームサーベルで切り結ぶ強化型ZZガンダムが描かれている。

スーパーGフォートレス
スーパーGフォートレス (SUPER G-FORTRESS) は、プラモデル「1/100 ΖΖガンダム」の組み立て説明書にて設定された、エゥーゴの試作型分離合体可変型MS・ΖΖガンダムの高速巡航形態Gフォートレスの武装強化仕様である。(型式番号:FX-010A)

機体解説
機体諸元 スーパーGフォートレス
型式番号 FX-010A
FX-010X(MS形態)
所属 エゥーゴ
生産形態 試作機
全長 30.58m
全幅 18.52m
全備重量 97.78t
スラスター推力 16,300kg×2
21,700kg×2
14,400kg×4
17,300kg×2
(総推力)168,200kg
武装 ダブルキャノン
21連装ミサイルランチャー
2連装メガビームライフル
ハイパーメガキャノン
肩部10連装ミサイルランチャー×4
プロペラント部ミサイルランチャー×4
改良型ダブルビームライフル
60mmバルカン砲×4
ΖΖガンダムの高速巡航形態であるGフォートレスに、追加装備としてハイパー・メガ・ランチャー、ミサイルポッド、及び長距離巡航用プロペラントタンクを装着した形態。ΖΖガンダム単体での作戦能力を向上させるために考案された形態である。航続距離及び火力は大幅に向上しており、高速巡洋艦クラスの能力を獲得することに成功している。

ミサイルポッドを除装することでMS形態への変形が可能であり、その際にはランチャーはFAZZの扱い方と同じく銃の様にホールドする。しかし、実戦投入された機体はMS形態での運用が多く、同形態に比重を置いたフルアーマーΖΖガンダムの方が有効であると判断され、スーパーGフォートレスは廃案となっている(スーパーGフォートレスはあくまでノーマルのGフォートレスに追加装備を施した仕様であり、強化型ΖΖガンダムが変形したものではない)。

武装
ハイパー・メガ・ランチャー
バックパックにオフセットされる。増加試作機FAZZ(ファッツ)にて試験運用が行われたハイパー・メガ・カノンを形状変更した同一仕様兵装。フルアーマーΖΖガンダムにも同一仕様で装備される予定であったとされる。
ミサイル・ポッド
肩部にはAMA-35S型ミサイル10発を内蔵するミサイルポッド計4基の他、プロペラントタンクにAMF-37H型ミサイルを内蔵するミサイルランチャーを片側2基ずつ、合計4基を装備する。
その他にコア・トップの主翼にもミサイルランチャーの装備が可能であり、また機首である2連装メガビームライフルには60mmバルカン砲4門を装備する。

FAZZ(ファッツ)
FAZZ(ファッツ、Full Armored ZZ)は、雑誌企画『ガンダム・センチネル』に登場する、地球連邦軍所属の試作型MS。(型式番号:FA-010A(FA-010-A))

機体解説
機体諸元 FAZZ
型式番号 FA-010A
所属 地球連邦軍
建造 アナハイム・エレクトロニクス社
生産形態 増加試作機
全高 22.11m
頭頂高 19.86m
本体重量 45.4t
全備重量 94.6t
ジェネレーター出力 8,070kW
スラスター総推力 118,800kg
推力重量比 1.26
姿勢制御バーニア数 22基
センサー有効半径 16,200m
装甲材質 ガンダリウム・コンポジット
武装 60mmバルカン砲×2
背部ビーム・カノン×2
AMA-13S 8連ミサイル・ポッド
スプレー・ミサイル・ランチャー
18連装2段階ミサイルランチャー×2
ダブルビームライフル
ハイパー・メガ・カノン
主な搭乗者 シン・クリプト
ジョン・グリソム
ロバート・オルドリン
ΖΖガンダムの増加試作機に重火力支援システムを固定装備した試験機を指す。同機はあくまでフルアーマー状態での性能のみを検証するのが目的の機体であるため、増加ユニットは全て固定式とされ、基本的には着脱は不可能とされている(勿論、メンテナンスなどの際には外装の除去は可能であるが、稼動時におけるユニットの強制排除機能などは備えていない)。その為、基礎構造にはΖΖガンダムのMS形態のみを再現した汎用フレームが使用されており、Gフォートレスへの変形や分離機構は省略されている。その他、発砲できない頭部及び腹部のハイメガ・キャノン(機体重量バランスを検討するためのダミー)や、実際のΖΖガンダムよりグレードの劣る機体材料の使用(それでもガンダリウム合金であり、MSの構造材としては高級な部類ではあるが)など、システム実証機故の設計の簡素化が随所に見られる(α任務部隊の教官マニングスは「ハリボテ」と酷評している)。

2009年01月17日

南方のザラで会計担当の書記官

老齢ではなかったが、心臓の病で死去した。
パティアス

[第1部]
南方のザラで会計担当の書記官をしていたが、アルスラーンの檄を受けてペシャワール城に馳せ参じる。ナルサスの推薦で会計監になり、財務監理など後方支援作業を行った。
[第2部]
王国会計総監(スパンデイヤード)を努める。必要な時、必要な所に、必要なだけの予算を回す名人。かなり有能で実務に精通しており、「平時であればパルスの宰相になれる」という評判が立っている。
バルハイ

[第1部]
当初はバフマン配下の千騎長。ルシタニアのパルス侵攻後は短期間に複数の万騎長に仕えることになる。バフマンの死後はダリューンの配下となるが、アンドラゴラス三世が復帰して兵権を握るとクバードの配下になり、彼のいい加減さに不平を洩らす。
[第2部]
クバード配下の千騎長として、魔軍との戦闘にも参加する。
シェーロエス

[第1部]
キシュワード配下の千騎長。
[第2部]
キシュワード配下の千騎長。10年もの間キシュワードの靡下におり、大将軍不在時には大将軍府を預かるほど上官からの信頼が厚い。第二次アトロパテネ会戦で受けた刀痕が右のこめかみから頬にかけて残る。エクバターナでお忍び中のアルスラーンらの危機にかけつけるが、持ち前の機転と思慮深さで気づかぬふりをし、ダリューンから事後処理を任される。
モフタセブ

[第2部]
クバード配下の年輩の千騎長。クバードからの信頼も厚い。ペシャワールにて魔将軍イルテリシュの手にかかり、アルスラーン即位後、千騎長では初の戦死者となる。
パラザータ

[第1部]
パルスの騎士。ペシャワール城がトゥラーン軍の侵攻を受けた際に、大陸公路をエクバターナに向かって進軍中のアルスラーンへの急使として選ばれた。途中、酷使された馬が斃れてしまい、偶然通りかかったクバードから馬を借り受ける。
[第2部]
大戦後にキシュワード配下の千騎長に昇進した。オクサス地方の変事に五百騎を率いて急行する。
ペラギウス

[第1部]
アンドラゴラス三世の下でのギラン総督。40歳の貫禄のある人物。ギランへ戦火が及ばないことをいいことに私腹を肥やしていたが、アルスラーンらによって不正を暴かれ、追放される。
フィルダス

[第2部]
王墓管理官(ニザル・ハラーフル)を努める宰相ルーシャンの縁者。アンドラゴラス三世に絡んだ奇怪な事件に巻き込まれる。
バニパール

[第2部]
パルスの勇敢な騎士。トゥースより10歳ほど年長の戦友。ルシタニアとの戦いの中で、重症を追い故郷に戻るが死去。三人の娘がいるが揃ってトゥースの妻となった。
バッツァーニ

[第2部]
ザラーヴァント靡下の仕官で、エクバターナの様々な土木工事に従事し五百騎長の称号を持つ。元はバダフシャーン地方で銀山の坑夫頭をしていたが、アルスラーンの檄を受けてペシャワール城に馳せ参じる。
マーカーン
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて


[東方巡歴]
絹の国(セリカ)へ赴くパルス使節団の団長。パルスにも正式な家族があるが、絹の国にもまた別の家族を持つ。
バーヌ

[東方巡歴]
絹の国(セリカ)へ赴くパルス使節団を守る護衛隊副隊長。隊長のダリューンよりも年長の騎士。